遺留分から考える民事信託①

2016年10月29日 00:00

遺留分という亡霊


「遺留分」という制度は、相続人間の公平を図るものだと言われます。この場合の公平は、実質的な公平ではなく、形式的な公平に過ぎません。実質?形式?そう思われている方も多いでしょうから、具体的な例でお話ししましょう。

AさんにはBさんとCさんという二人の子どもがいました。

BさんはAさんと同居し、介護から埋葬まで一切の面倒をみてきました。

Cさんはもの心が付いた頃、気ままに家を出て一切連絡が取れない状態でしたが、初七日を過ぎた頃に、遺産が欲しいと帰って来ました。

Aさんには、家と土地、預貯金合わせて4,000万円相当の財産がありました。

このような例で考えると、とても分かり易いと思います。


先ずは、Aさんが遺言を残していないケースです。

≪遺言無し≫

法定相続人となるBさん・Cさんの相続分は1/2ずつです。

⇒親であるAさんの面倒をみてきたBさんには不満が残ります。しかし、法定相続となるとどうしようもありません。

 これが、形式的な平等なのです。「子」という相続人であるという形式を重視した平等扱いです。

 実質的に平等とするならば、親の面倒をみてきたBさんの相続分を多くすべきという結論になるはずです。


次はAさんが面倒をみてくれたBさんに財産を残す遺言を書いた場合です。

≪遺言あり≫

Aさんは面倒を見てくれたBさんに全財産を相続させる公正証書遺言を残しました。Bさん4,000万円、Cさん0円です。

⇒親であるAさんの面倒をみてきたBさんには満足のいく結果になります。

 親の面倒をみたという貢献度から実質的に判断したものです。

 しかし、Cさんは自分も相続できる権利があると言い、遺留分減殺請求ができます。

 民法は、相続人間の公平を図るという趣旨で遺留分なるものを認めているからです。

 この場合、Cさんは1/4相当の1,000万円は自分のものだと主張できるのです。何もしていないのに。Aさんの願いに反して。

 恐ろしいことには、勝手に相続人として不動産の登記をし、それを担保にお金を融通してしまう可能性さえあります。


この問題の妥当性を検討するには、そもそも4,000万円相当の財産は誰のものかという点を再確認すべきでしょう。日本国憲法において、財産は個人のものです。つまりAさんのものです。Aさんは自分の財産を好きに使う権利があります。ということは、相続させるときに自分の意思通りにできないというのは本来おかしな話です。遺言を残して意思を明確にしておいても、遺留分により、その意思が達成されることはないのです。

どうでしょうか。現在の相続制度は、妥当な結果を導く制度ではないのです。だからと言って、法に背くことを薦めているわけではありません。

現在の相続制度は、財産の持ち主である親の願いも無視し、形式的な平等を追求することで、現実社会から望まれない結末を招くケースを作り出す制度でもあるのです。


そもそもこの遺留分は、明治憲法下で登場した概念でした。そのときは、財産は親個人のものではなく、「家」のものでした。家の財産を家長である父親が勝手に処分したような場合に、「家」を守るために創設されたのが「遺留分」なのです。この遺留分が認められないと、「家」制度が崩壊したからです。

しかし、現在は「家」制度は認められていません。守るべき「家」の財産はないのです。遺留分という概念だけが「亡霊」のように生き残り、「個人」にとりついています。


次回は、「亡霊対策について」コラムにします。